ドマさんの徒然なるままに【第69話】Creative GMP
第69話:Creative GMP
序章
のっけから失礼とは思うが、正直に言う。GMP関係者って創造力というコンピテンシー(competency)*1が乏しいように感じる。GMPだ、コンプライアンスだ、なんてレギュレーションに対しては真面目に取り組むが、型にはまった(型にはめた)形で運用したがる傾向にあるように思えるのである。レギュレーション、確かに規制当局が発出したものであり、我々民間の者はその遵守状況が行政により監視されているのは事実である。ただ、レギュレーションと言っても、実際の個々の運用については、ある程度の柔軟性が必要なんじゃないだろうか。GMPを筆頭とする“Good Practices”に限定すると、Good Practicesの実践には、法律、例えば薬機法の条文と同じ“rigid”な扱いにできるかと言えば、そうではないと思っている。
本話、第10話「世界に一つだけのGMP」、第55話「Flexible GMP・前編」、第56話「Flexible GMP・後編」の発展版的な内容の話である。『勝手にGMP論』シリーズ*2の第13弾でもある。自分で言うのも何だが、あくが強い内容であるため、本話を毛嫌いする読者も多く出てくると予想している。あくまで個人的意見であるが、本音である。
なお、本話においては、品質に関わるGood Practices全体、具体的にはGMP省令・GQP省令・GCTP省令・GDPガイドラインの総称として「GMP」と記しているので、その点をご容赦願います。特定のGMPや本来のGMPに限定して言及している場合には、都度具体的に表記を施しているので、その点をご了承願います
第1章:お宅は標準? でも他社との違いを謳いたがるのはなんで?
さて、冒頭で述べたレギュレーション運用の“柔軟性”とコンプライアンスのための“創造力コンピテンシー”の話を具体的に述べよう。例えば、GMP省令に記された条項を、さらには事例集に掲載された手法でそのまま自社・自製造所・自製品(以下、「自社」)に当てはめることが可能かと問われれば、必ずしもそうじゃないと思える(そもそも背景にある状況が同じとは思えない)。さらに言えば、セミナーや研修会等での他社の実施例がマッチするかと問われれば、規模・職員・製品の違いから無理があるように思える。変にマネしたり、パクったりすれば、ズレが生じる可能性もある。“Better Practices”にするつもりが、“Worse Practices”になってしまうかも・・・。そうなれば、そう簡単には戻せない。
大事なことは、そこに求められる理由であり、そこに本質が隠されているのではないか。ただ、そこに至るには、GMPを読み取るという能力に加えて、適応力と言おうか、応用力と言おうか、情報と自社の現状との差異(悪く言えば“穴”)を埋めて対応するための力が必要なんじゃないかと思うのである。筆者は、これを“GMP推進に必要な創造力”だと思っている。マネをするのではなく、自社に当てはめるだけの創造性が求められると思っている。ジェネリック医薬品でもない限り、ビジネスとしては、うちの製品は余所と違うということが謳い文句のはず。そうであれば、他とは異なる独自の性質を有しているはず。ならば、独自の性質を満たす個別の対応が必要となる。それを満たすことを考えるのが固有の創造力だと思っている*3。
第2章:私が変わっているだけ?
筆者本人として意識してはいないのだが、過去から何名かの方に「GMPって要件に従うことが大事で、その通りにやらなければいけないと思っていたのですが、ドマさんの解釈では柔軟性があるんですね。」と言われた。別に違って良いと言いたいわけではない。言い訳がましいが、自社にベストマッチさせようとすれば、自ずと要件記載事項や事例とは異なる点が生じてしまうと思っているだけである。逆に言えば。品質保証としてベストマッチしている最善策であれば、規制要件の文言からすると微妙に異なる印象を受けたとしても、現実の製品の保証ということでは理にかなっていると思うのである。
同じ会社ではないし、同じ製造所ではない、まして同じ製品ではない。その意味するところは、異なる物性・特性の製品を全く別の会社の工場で、全く異なる製造プロセスで製造し、全く異なる分析法と規格で試験検査していることになる。そうであれば、現実の製品の保証にベストマッチする保証の仕方があって然るべきだと思う。理屈よりも現実が優先する。そう思っている。そうするために。冒頭で述べた創造力コンピテンシーを養うことが大事だと思っている。従順であることは良いことだし、法規制に対するコンプライアンスは必須であるが、これらは“ Blind Compliance”を求めているものではない。だとしたら、そこには、必要な分の柔軟性を加味することが許容されていると考える。
本話、誤解を招くリスクがあることから。どのような表現で執筆するか、どのようにまとめるか、ズーッと悩んでいたものである。この「ドマさんの徒然なるままに」の中では、時折本音として部分的に挿入してはいるものの、テーマといった形で“そのものずばり”で書いたことがない。ただ、周囲の状況が何となく筆者の考え方とは違った方向に動いているように思えたので、読者の異論・反論も踏まえた上で、正直に整理したいと思って本話に相成った。
第3章:Quality Cultureという言葉に惑わされるな!
「Quality Culture」という言葉と概念、言い出しっぺは米国かもしれない*4が、ブームのようにしたのは本邦だと思う。製薬企業での承認書との乖離を含む様々なGMP違反が相次ぎ、しかも会社や製造所の経営陣を巻き込んでの組織ぐるみの不始末ということから、「Quality Culture(品質文化)の醸成」といったことが謳われ出したと思っている。Quality Culture自体をとやかく言うつもりはないが、Quality Cultureの醸成の前に自分たちで考え、やって欲しいことがある。文化の醸成は集合体(組織)としての結果であって、まずは現在の品質保証体制として十分な対策が図られているか否かのチェックである。そもそも、その状況が貴社の現在のQuality Cultureなんですよ。そこを自覚してくださいな。
この段階で、他社のチェックリストを参考にしてやっているとか、薬業団体や厚生労働科学研究の一環として発行されているものに基づいてやっているとか、を言っているのであれば、その時点でアウトだと言ったら失礼であろうか。口の悪い筆者の言い方をお許しいただければ、「自分のことなんだから、もう少し自分で考えてやったら!?」である。こういうことに創造力を働かせていただきたいのである。創造力は全くのゼロからスタートさせるわけではない。元々何かの形で存在しているものを活用し、その応用であっても構わない。要は、一番自分に合ったものとしてカスタマイズされていれば良いと思っている。
他社や一般論との(良い意味でも悪い意味でも)相違があればあるほど、本来求められる“通常”との乖離を埋める必要が生じるはずである。大事なことは、通常と称して“平均化”することではない。自社製品にベストマッチする品質保証に修正・修飾(modify)を施すことを言っているつもりである。そして、この修正・修飾には、不足部分を補うというプラスの場合も含まれる(現実にはそのほうが多い)。
第4章:己を知って創造力を発揮し応用しろ!
そう考えれば、新薬開発における治験薬の製造でのGMP、所謂「治験薬のGMP」など、その開発品目が画期的、革新的なものであればあるほど、言うまでも無く、高度な創造力コンピテンシーが求められる。筆者の師匠である古田土真一先生が『治験薬のGMPは、医薬品GMPの応用であって、簡易版でも簡略版でもなければ、まして手抜き版ではない!』とおっしゃっているのはこのためである。応用版であるからこそ、その運用が難しい。だからこそ、その適切な運用のためには、それだけの創造力が必要になる。普通に考えれば、いたって単純な話なのである。
このことは、承認後の市販医薬品も同じである。製造現場での実対応は承認書記載事項に沿った上で、省令記載要件に基づいて当該製品にベストマッチした作業になるように微妙に調整(具体的かつ詳細な手順に)しているはずである。微調整したからと言って、それをGMP省令違反だとは誰も思わないであろう。むしろ製品品質としてはそのほうが確かに良いね、と思うんじゃないのか。その微調整が承認書記載事項から乖離していたり、SOPと違っていたりするから問題になるのである。違いがどの程度なのかも分からずにやっていたとすれば、その判断も出来ないレベルということになり、商売としてやっている“業者”として失格である。ましてや、恣意的であったとすれば確信犯であり、業許可取り消しレベルである。言いたいことは、レギュレーションを理解し遵守した上で、製品品質にベストマッチさせるために創造力を発揮し応用することが求められる、というだけである。
第5章:良いQAって何だか考えたことあります?
レギュレーションで医薬品品質がカバーできると思いますか? ハッキリ言う。そうじゃないでしょ。本当の意味で医薬品品質をカバーしているのは科学的根拠(データ)でしょ。日常的な製造や試験検査だって承認書記載事項に沿っての製造や試験検査が求められるのは、設計品質が確立した(これが“承認”のはずです)ということでの業務だからである。さらに、本当にその通りに実行したかどうかの証拠が記録書なんじゃないですか? 法規制は良からぬことをしでかす者が出て来るのを防ぎ、国民を健康被害から守るためでしょ。GMPが先にあって医薬品が世に出たんじゃない。GMPが米国で法律として遵守することを求める以前から沢山の医薬品は存在した。そもそもGMP誕生はサリドマイド事件を契機に米国で法制化されたにすぎない。
もっとキツイ言い方をお許しいただければ、どんなに法規制を厳しくしたとしても、実際の運用を任せられた皆様が“いい加減”であれば、その法規制はお飾りと化してしまう。じゃー、もっと厳しくすればいいってか? そういうのを世間では「いたちごっこ」って言うんですよ。どんなに厳しくしたって、法規制をかいくぐって罪を犯す奴は必ず出て来るので、完全には解決しないと思っている。すべては、皆様の解釈と運用にかかっている。ただ、そこには、皆様の理解力と同時に創造力が必要だというのが筆者の言い分である。
『良いQAとは、法規制を頑なに求める者ではなく、法規制を自製品の品質にどれだけベストマッチさせるように解釈・運用できるかの能力を有する者である。』と信じている。少なくとも、自己都合で、特に利益優先として解釈・運用したがるようであれば、その時点で失格である。
第6章:改善には創造力が必要でCMCだけじゃない。
ICH Q10である医薬品品質システム(Pharmaceutical Quality System:PQS)は、改正GMP省令でも、PIC/Sでも要件となった。ICH Q10の冒頭セクションには『製品ライフサイクルの全期間にわたり ICH Q10 を実施することは、イノベーションと継続的改善を促進し、医薬品開発と製造活動の連携を強化するものでなければならない。』とある。改善は創造力が無ければ出来ない。PQSはCMCだけに適用されるわけじゃない。QAを含む品質保証にも適用される。技術的改善であれば数値として現れるので改善状況が目に見えて分かり易いというだけのことである。
目に見えない部分の改善こそQuality SystemやQuality Cultureの求める部分であり、その実行役の中心がQAなんじゃないですか。だからこそ、QAを筆頭とするGMP関係者全員に創造力が必要なんですよ。さぁー、QAのあなた、目に見えない継続的改善をどのように対応しますか? 腕の見せ所ですよ。
先の「第4章:己を知って創造力を発揮し応用しろ!」にも記したが、『その開発品目が画期的、革新的なものであればあるほど、言うまでも無く、高度な創造力コンピテンシーが求められる。』とは、開発品目に限らない。既承認品目でも同じである。あなたの製品が画期的・革新的であればあるほど、あるいはその品目の改善が画期的・革新的であればあるほど、より高度な創造力コンピテンシーが求められるのである。
遺伝子情報の解析は核酸医薬を導き、過去には夢物語のようなバイオ医薬品(抗体医薬)が当たり前の時代となり、さらに医薬品の領域をも超えた再生医療等製品が出現した。このような製品の品質の保証としては、現行GMPを超えた、まさに創造力を駆使した品質保証の在り方自体を開発しなくてはならないと思うのは筆者だけじゃないと思う。レギュレーションよりも科学の進歩のほうが早い。品質保証の在り方は、科学の進歩を横目に見て並行して進めざるを得ない。さらにその進行を横目に見てレギュレーションが時代遅れにならないように、かつ患者さんへの供給が手遅れにならないように新規発出 and/or 改正するといったことが大事なのではないだろうか。これを簡単に整理したものが図1である。
図1:サイエンス vs レギュレーション
第7章:流行りの言葉に流されるより自社を見つめ直せ!
本話内でも何度も出している「コンプライアンス」や「Quality Culture」を筆頭に、GMP関連で多くのキーワードとも言える言葉が巷に溢れていますよね。これらの言葉自体に問題があるわけじゃない。これらは重要な要素であり、否定するものは何もない。問題は、それらの言葉に振り回されている方が少なからず居られるという実態である。それら言葉の意味するところの本質に向けて、その目標に向かうというのであれば良いのであるが、自社とのマッチングを顧みず、ただひたすら、その言葉があたかも目的であるかの如く、声高に叫ぶことが問題だと感じている。
そもそも、行政だって“Blind Compliance”を求めているわけじゃない。要件に対して、何が不足しているのか or どこに不備があるのか、それを埋めて満たすために何をするのかが本来のコンプライアンスだと、少なくとも筆者は思っている。先述の繰り返しで申し訳ないが、それにも拘わらず、コンプライアンスという掛け声とともに、他社のマネをしたり、事例集と全く同じことをしたりすることがコンプライアンスだと信じているような方が少なからずおられる。悲しむべきことであるが、そういった現実がある。
そういう方に申し上げたい。少しは自分で考えたら? 自分で何をすべきか考える力、そう創造力を養いなさいよ! そもそも、お宅が製造し販売している製品、他社と違うよね。異なる製品ってことは、その物性・特性が違うよね。だったら、他社のマネや事例集の通りにやったって意味ないんじゃね!? 自分の取り扱っている製品の物性・特性に合った保証方法を考えなさいよ! そんなことも分からないんだったら、生業(なりわい)として商売しちゃいけないんですよ。
行政の方にも言いたい。法令順守は理解するが、だからと言って理屈や一般論じゃなく、目の前の製品にベストマッチする保証の仕方をしているかどうかのチェックをして貰えません? それがレギュレーションの求める許容範囲の中にあるのであれば、目の前の製品の品質はOKなんじゃないですか? もう少し査察時の応対者の言い分に耳を傾けて貰えません? その言い分に妥当性が無ければ当然指摘ですけど、もしそれなりに妥当性があるのであれば、「あーっ、なるほど。そういうやり方もあるよなー。」って理解を示して欲しいんですよ。また、そういった事例の紹介が有り難いんですよ。そうじゃないと、日本の医薬品製造所、表向きは一流だけど、現実は二流と言われちゃいますよ。日本の医薬品、外観については超一流(単に神経質なだけか?)だけど、GMPの本質的な理解と運用は今一つ。ただ、日本人は変に生真面目なところがあるので、どうにかなってるだけなんじゃね!? って言われそうな。
終章
冒頭で述べたが、あくまで筆者の個人的かつ感覚的な意見である。たまたま筆者が新薬のシーズ(種)を探す探索研究者(有機合成化学者)として社会人をスタートしたこと、同一会社・同一部署の在籍としては最も長い15年間であったことが関係しているかもしれない。探索研究所にとっては創造性が必須であり、一番必要な能力とされるからである。しかし、会社が変わって職種が変わっても、何だかんだ言って45年も製薬関係の仕事に従事してきた者として、現状に何か不自然さを感じたりすることがある。本話は、それを筆者なりに考察した結果の一つだとお許しいただければ幸甚である。
では、また。See you next time on the WEB.
【徒然後記】
Quality Culture
オマケの話です。「Quality Culture(品質文化)の醸成」って、何を目指しているんですかね? その目指す目標って、どこなんですかね? 正直なところ、いい加減な筆者にとっては、具体的イメージが沸かないんですよね。従来から普通に真面目にGMPをやってきました、という会社さんにとっては、「じゃー、何をするのか?」と悩みませんか? 本邦でこの言葉を流行らせることになってしまった、不始末をしでかした会社さん、特に経営幹部クラスを巻き込んでの会社ぐるみで不始末をしでかした会社さん、さらには是正も反省する兆しもない会社さん、間違いなくあんたのせいですよ。行政からすれば、「困ったちゃんだ。お前たちの会社って何を考えてるんだ!」ということが発端なんじゃないですか。逆に言えば、「そんなこと考えたこともない。」だとか、「そんなこと普通やる?」という、ごくごくマトモな会社さんにとっては、何のことか理解不能なんじゃないかと思う。だって、そういったマトモな会社さんのほうが圧倒的に多いし、そんなマトモな会社さんって、既に「健全な品質文化が醸成されている」ということですよね。だとしたら、彼らにとっては余計な要求にしか思えないですよね。それとも、行政サイドでGMPランキングでも計画してるんですか? プラックな会社さんのみ対象ということであれば理解しますが、なんか方向は「全員、これをやって!」と大旗振っているようにしか思えない。もろ“煽り”ですよ。正直、無駄な労力は使いたくない。それならば、自己点検を真剣にやって、実際の製品品質に影響を及ぼしかねない不備・不十分な点を早く是正しておきたい。むしろ、こんなコツコツと作業を地道にやっている姿こそがQuality Cultureなんじゃないですかね。
あれっ、「いいね」が増えてる。
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*1:辞書に依れば、『アビリティ(ability)とコンピテンシー(competency)の違いは、アビリティは能力や技能そのものを指し、コンピテンシーは能力や技能を発揮する行動特性を指す。』とある。ここでは、行動特性としての能力の意味合いで使っているので、コンピテンシーとした。
*2:『勝手にGMP論』シリーズの前第12弾は「第63話:GMPのSDGs」です。
*3:この会社さんが、本質を見抜いているかどうかの簡単なチェック方法がある。次のような質問をするだけで良い。
[質問]これをやっている理由は何ですか?
[ダメ回答例]GMP省令の要件だからです。
[Blind Complianceを露呈している最悪回答]要件ですし、SOPがあります。
[良い回答例]●●を防ぐためにやっています。
読者の皆さん、お分かりだろうか。ダメ回答は、「要件だからやっている」として、その理由を答えていない。逆論法として言えば、「要件でなければやらない」を意味している。最悪例は救いようがない状態、まさにBlind Complianceの典型である。この手の会社、ほぼ間違いなく「SOPを用意してあればGMP」だと思っている。あくまで、大事なことは、何故に要件とされているか(しなければならないか)の理由であり、それが要件の根拠である。したがって、その要件となった根拠を押さえない限り、当該要件を満たすことはあり得ない。
*4:本当の言い出しっぺが米国FDAかどうかは知らない。ChatGPTに依れば、以下のような回答が得られた。
[筆者からの質問]
Quality Cultureの発祥は?
[ChatGPTの回答]
Quality Cultureの発祥は、品質管理の分野で重要な概念として、日本の組織文化や品質管理手法に関連して広がりました。特に1950年代から1960年代にかけて、日本企業が品質管理の重要性を再評価し、独自の手法や哲学を発展させてきました。その中で、品質を全社的な文化として捉え、品質向上を組織の価値観として浸透させることが重要であるという考え方が生まれました。
品質文化の核となる理念は、ジョセフ・M・ジュラン(Joseph M. Juran)やウォルター・A・シューハート(Walter A. Shewhart)などの品質管理の専門家が提唱しましたが、特に日本ではトヨタ生産方式(Toyota Production System)や品質管理手法の普及とともに、品質管理は単なる技術的なアプローチから、組織文化としての浸透が進みました。
そのため、Quality Cultureという概念の発祥は、主に日本における品質管理の進化と結びついています。品質を向上させるための取り組みが企業の全体的な文化として根付いていくことが、組織の持続可能な競争力を確保するために不可欠であるという考え方が、Quality Cultureの発展の土壌となりました。
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