医薬品開発における非臨床試験から一言【第57回】

PCを用いた研究の解析と進化


創薬研究では、あらゆる場面でPC(パーソナルコンピュータ)を使用し、日々、業務を遂行しています。PC環境は研究環境と同様に進化を続けていますが、ごく最近の歴史であることをご存じでしょうか。今回は、創薬現場におけるコンピュータの歴史と、電子データの保存について、基本的な部分をお伝えします。

私の研究歴の始まりは、大学の薬学部であり、1977年に大学院修士課程を卒業しました。この頃の研究室にPCは無く、研究結果はノートにまとめ、計算は関数電卓でした。そして、「日本語ワードプロセッサ」も無いため、学会発表の要旨は手書きで、発表資料は手書き図表などを接写してスライド(枠に収めた画像フィルム)に仕上げて、スライド投影機を使用していました。

製薬会社に就職して創薬研究を担当すると、初めてコンピュータらしきものにお目にかかりました。オリベッティ社製で、プラズマディスプレイ、いわゆる3行ほどの文字盤が付いていました。自作のBASICプログラムで計算でき、研究所に1台のみで、皆で予約して使っていました。関数電卓を自動化したような機械で、現在のPCとは本質的に異なります。それでも、「非常に便利なコンピュータ」と認識して、自分用の薬物動態解析プログラムを作って使用していました。

1979年には、NECからCPUにZ-80を用いたPC-8001が発売され、PC-8801、PC9801とNECの時代が続きました。データ保管には、8インチ片面単密のフロッピーディスク装置が記憶媒体として発売され、パソコンよりも高価な付属機器でした。その後、記録媒体はPC内臓型の3.5インチのフロッピーディスクに変わりました。この時代のPCとは、今で言うデスクトップ型で、外付けのキーボードとマウスを使用し、ブラウン管型モニターに出力していました。

この頃、体内分布などの表の印刷に電動タイプライターを用いた時代がありました。Mean ± SDの表の場合、まず1行の中で、行タイトル、数値(Mean)と「+」と数値(SD)の繰り返しを印刷し、紙送りを改行しないで、ヘッドを行の先頭に戻し、「_」を「+」部分に重ね打ちして、見かけ上の「±」に仕上げました。図は、プログラムでXYプロッターを駆使して描いていました。今でもエクセルで図を描く時に、この経験が役に立ちます。しかし、直ぐにドットプリンターに取って変わられました。

PCソフトでは、日本語ワードプロセッサとして「松」、「一太郎」などが使用されるようになり、一方の表計算にはマイクロソフト社からマルチプランが簡便な計算ソフトとして発売され、現在のエクセルのような仕様だったように思います。本格的にPCに依存した研究体制が整い始めました。

1990年頃には、AppleのPCとしてMacintosh(「MAC」と呼んでました)が発売されました。研究所で、薬物動態はPC-9801などNEC製品を使い、薬理関係はMAC、毒性関係はGLPシステム(富士通のミニコンピューターシステムなど)を使用していました。つまり、分野毎にコンピュータ環境が異なり、印刷物が共通の情報です。この頃に、PCメールが使用できるようになりましたが、社内はともかく、外部とは電話かFAXが役立つ時代でした。インターネット環境が十分ではなかったように思います。もちろん、モバイルWiFiも、もう少し先の時代になります。

さらに、「電子データ」の扱いについて、PCの進化と、ソフトの進化、プリンターの進化が続いており、同じモニター出力、印刷形式の維持に苦労していました。つまり、「電子データ」をフロッピーで保存していても、データを見れない。計算できない。印刷できない。ような、進化に追いつけないアクシデントに遭遇しました。

 

 

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