医薬生産経営論・特別編【第1回】
第1章 女子事務服を脱ぎませんか?
未だ、陽は高い。大川(旧淀川)端の桜並木は、枝先部分の葉はほとんど落ちてしまっているが、残っている枝元部分の葉は、濃淡の紅色に染まって、とても美しい。
私は、最近になって桜並木の下に設置されたレトロ風の木製ベンチのひとつに腰掛け、近くの居酒屋の美魔女(所謂「個人の感想です」)ママが用意してくれた山口県の地酒『五橋』を飲んでいる。山口県には、『獺祭』や『東洋美人』など、全国的に有名な銘酒も多いが、熱燗で飲むなら、やはり、古くから全国的に知られている『五橋』が良い。安い。
春の桜花爛漫の時には多くの人たちが、その桜花の下の場所を争ってまで弁当を食べお酒を飲むのに、燃える烽火のようであっても秋の紅葉の桜並木の下には、私たちを除いて、お酒を持参して飲む人は誰一人としていない。
桜木の寿命は、人間とそれほど違わないらしい。
しかし、春、その爛漫たる鮮やかな桜花によって私たちは新鮮な年を迎える感謝を知り、夏、緑葉によって強烈な日射を防いでくれる優しさに気づき、秋には、少しずつ冷たさの増す風によって不思議な勇気を与えてくれ、冬、凍てつくような寒さの中で小さな蕾を育むことで、人が生きるためには希望や夢が必要であることを教えてくれる。
この素晴らしい桜並木の下で、団塊世代のオッサンと、年齢非公表の美魔女ママの2人が、昨夜の売れ残りのおでんを食べながら、ボヤキ合いギャグを言い合うのは、崇高な大川端の桜木の皆さんには甚だ失礼だとは思うが、来年くらいまでは、いや、東京オリンピックまでは許して欲しい。私も、この大川端に化けて出て来たくはないから・・・。
働く、魅力的なオフィスレディ(OL)の象徴は勿論、素敵な女子事務服にある。否、かつてはそうだった。
ところが、1970年代に入った頃から、大手企業の本社や支店を中心に女子事務服を廃止する企業が出始め、今日の一流と呼ばれる企業の多くでは女子事務服は廃止され、私服での勤務となっている。
1970年代の初め頃はミニスカート全盛の時代であり、学生であった私は新日本製鉄や三菱重工などの本社や支店に就活で訪問すると、ミニスカートの私服のOLが応対してくれ、こんな先進的な企業に是非入社したいと思ったものである。尤も、その願いはミーハーな新人には叶わず、私は、物理的にも心理的にも都会からは遥か遠く離れたローカル工場勤務となった。古臭い女子事務服が存在していた。
もう40年以上昔の思い出だが、現在でも、女子事務服を制服として着用を義務付けている企業は多い。不思議に、ローカルに本社を置く企業に多い。
女子事務服の廃止、私服化が、さらに拡散したのは1990年代の後半に入ってからである。その契機のひとつは男女差別の廃止にあった。すなわち、女子事務服というのは、女性が男性の補助的な役割を行うことの象徴であった。1990年代の後半、私は資材購買部門に所属していたが、男性バイヤー1名に女性アシスタント1名がつく、ペアシステムで取引先との対応をしていた。しかし、コンピュータ、とりわけパソコンの発展はこうした女性の補助的な業務量(時間)を大幅に削減した。当時、資材購買部門において業務量分析を行ったが、資材購買部門全体で、補助的業務の割合は全業務の内、20%を下回っていた。これでは、男性女性それぞれ1名ずつというペアシステムは成り立たない。男性バイヤー4名に対し女性アシスタント1名とする方法もあったが、この方法では、女性アシスタントが担当する取引先の数が多くなり過ぎ、取引先対応における時間的融通性が乏しくなる。取引先との、見積査定や価格改定や新規契約などの交渉面談が決して平準的に発生しないからである。そこで、女性アシスタントを女性であってもバイヤーにすることとし、購入依頼受領から支払い管理までの資材購買部門の業務を、雑用もお茶くみも含めすべて一貫して、男女のバイヤーが担当することとした。全員がバイヤーでアシスタントはいない。補助的業務もバイヤー自身が行う。必要なお客さんには、お客さんの方は嬉しくはないと思うが、男性のバイヤーであってもペット入りのお茶を出す。
ここで、女子事務服が邪魔になる。会社を代表するバイヤーとして取引先と折衝するには、そして、「チーフ」「シニア」「プリンシパル」とバイヤーとしての肩書が重くなるほど、女子事務服は似合わない。
このとき、資材購買部門の女性たちから私服反対の意見が出たかどうか、私は記憶がない。しかし、女性たちの出社時刻が一段と早くなり、女性たちの退社時間が遅くなったことは確かである。淑女としての習い事やウィンドウショッピングよりも、遥かに、働きがいのある時間が増えたのは事実だったと、私は確信した。
2000年代に入り、日本の多くの企業では経営活動のグローバル化が加速化した。海外から日本企業に訪ねて来た外国人の多くが、日本の女子事務服について質問をして来た。
「なぜ、制服を着ているの? 」「海外の現地支社も制服を着るべきなの? 」
こうしたことも、2000年代において、日本企業の女子事務服廃止を後押ししたのだと思う。
未だ、陽は高い。大川(旧淀川)端の桜並木は、枝先部分の葉はほとんど落ちてしまっているが、残っている枝元部分の葉は、濃淡の紅色に染まって、とても美しい。
私は、最近になって桜並木の下に設置されたレトロ風の木製ベンチのひとつに腰掛け、近くの居酒屋の美魔女(所謂「個人の感想です」)ママが用意してくれた山口県の地酒『五橋』を飲んでいる。山口県には、『獺祭』や『東洋美人』など、全国的に有名な銘酒も多いが、熱燗で飲むなら、やはり、古くから全国的に知られている『五橋』が良い。安い。
春の桜花爛漫の時には多くの人たちが、その桜花の下の場所を争ってまで弁当を食べお酒を飲むのに、燃える烽火のようであっても秋の紅葉の桜並木の下には、私たちを除いて、お酒を持参して飲む人は誰一人としていない。
桜木の寿命は、人間とそれほど違わないらしい。
しかし、春、その爛漫たる鮮やかな桜花によって私たちは新鮮な年を迎える感謝を知り、夏、緑葉によって強烈な日射を防いでくれる優しさに気づき、秋には、少しずつ冷たさの増す風によって不思議な勇気を与えてくれ、冬、凍てつくような寒さの中で小さな蕾を育むことで、人が生きるためには希望や夢が必要であることを教えてくれる。
この素晴らしい桜並木の下で、団塊世代のオッサンと、年齢非公表の美魔女ママの2人が、昨夜の売れ残りのおでんを食べながら、ボヤキ合いギャグを言い合うのは、崇高な大川端の桜木の皆さんには甚だ失礼だとは思うが、来年くらいまでは、いや、東京オリンピックまでは許して欲しい。私も、この大川端に化けて出て来たくはないから・・・。
働く、魅力的なオフィスレディ(OL)の象徴は勿論、素敵な女子事務服にある。否、かつてはそうだった。
ところが、1970年代に入った頃から、大手企業の本社や支店を中心に女子事務服を廃止する企業が出始め、今日の一流と呼ばれる企業の多くでは女子事務服は廃止され、私服での勤務となっている。
1970年代の初め頃はミニスカート全盛の時代であり、学生であった私は新日本製鉄や三菱重工などの本社や支店に就活で訪問すると、ミニスカートの私服のOLが応対してくれ、こんな先進的な企業に是非入社したいと思ったものである。尤も、その願いはミーハーな新人には叶わず、私は、物理的にも心理的にも都会からは遥か遠く離れたローカル工場勤務となった。古臭い女子事務服が存在していた。
もう40年以上昔の思い出だが、現在でも、女子事務服を制服として着用を義務付けている企業は多い。不思議に、ローカルに本社を置く企業に多い。
女子事務服の廃止、私服化が、さらに拡散したのは1990年代の後半に入ってからである。その契機のひとつは男女差別の廃止にあった。すなわち、女子事務服というのは、女性が男性の補助的な役割を行うことの象徴であった。1990年代の後半、私は資材購買部門に所属していたが、男性バイヤー1名に女性アシスタント1名がつく、ペアシステムで取引先との対応をしていた。しかし、コンピュータ、とりわけパソコンの発展はこうした女性の補助的な業務量(時間)を大幅に削減した。当時、資材購買部門において業務量分析を行ったが、資材購買部門全体で、補助的業務の割合は全業務の内、20%を下回っていた。これでは、男性女性それぞれ1名ずつというペアシステムは成り立たない。男性バイヤー4名に対し女性アシスタント1名とする方法もあったが、この方法では、女性アシスタントが担当する取引先の数が多くなり過ぎ、取引先対応における時間的融通性が乏しくなる。取引先との、見積査定や価格改定や新規契約などの交渉面談が決して平準的に発生しないからである。そこで、女性アシスタントを女性であってもバイヤーにすることとし、購入依頼受領から支払い管理までの資材購買部門の業務を、雑用もお茶くみも含めすべて一貫して、男女のバイヤーが担当することとした。全員がバイヤーでアシスタントはいない。補助的業務もバイヤー自身が行う。必要なお客さんには、お客さんの方は嬉しくはないと思うが、男性のバイヤーであってもペット入りのお茶を出す。
ここで、女子事務服が邪魔になる。会社を代表するバイヤーとして取引先と折衝するには、そして、「チーフ」「シニア」「プリンシパル」とバイヤーとしての肩書が重くなるほど、女子事務服は似合わない。
このとき、資材購買部門の女性たちから私服反対の意見が出たかどうか、私は記憶がない。しかし、女性たちの出社時刻が一段と早くなり、女性たちの退社時間が遅くなったことは確かである。淑女としての習い事やウィンドウショッピングよりも、遥かに、働きがいのある時間が増えたのは事実だったと、私は確信した。
2000年代に入り、日本の多くの企業では経営活動のグローバル化が加速化した。海外から日本企業に訪ねて来た外国人の多くが、日本の女子事務服について質問をして来た。
「なぜ、制服を着ているの? 」「海外の現地支社も制服を着るべきなの? 」
こうしたことも、2000年代において、日本企業の女子事務服廃止を後押ししたのだと思う。
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