新・医薬品品質保証こぼれ話【第40話】

“監視”と“指導”。
執筆者の連載をまとめた書籍を発刊「医薬品品質保証のこぼれ話」
“監視”と“指導”
“監視”と“指導”、この2つの言葉は医薬品行政の領域においては、合わせて“監視指導”と、一つの用語として使用されるのが一般的ですが、それぞれに意味と目的があることは言うまでもありません。医薬品の品質確保や安定供給を目的に行政当局が行うこの“監視指導”のあり様も時代とともに変化し、現在は昨今の製薬企業の品質・薬事に関わる不祥事の多発により、査察の厳格化など“監視”に重きが置かれた状況にシフトしてきていることはご承知のとおりです。
先日(2023年11月8日)、武見厚生労働大臣は衆院厚生労働委員会において、今般の沢井製薬の溶出試験にかかる“試験不正”に関連して、今後、無通告査察の拡充とさらなる厳格化により、“医薬品企業に対する監視指導をさらに強化する”と述べましたが、この場で使用された“監視指導”という言葉の意味は、“監視”に重点が置かれていると理解され、特に行政査察におけるこれまで以上に厳しい調査が想起されます。“監視”には自ずと “指導”が伴いますが、受ける側の企業としては、調査結果に基づく“指摘”や“改善要請”そのもの、或いはこれに不随する助言などを“指導”と認識しているのが、一般的ではないかと思われます。
“指導”には、家庭、学校、企業など、それぞれの場・状況において、様々な形・意味合いが存在しますが、こういった場における“指導”と“行政の指導”の現状とは少し趣が異なるように感じます。その違いは、相互の関係性に拠るところが大きいように思われます。つまり、家庭や学校、或いは企業における両親や教員、また上司などによる指導は、立場や多少の目線の高さに違いがあっても、指導を行う側と受ける側の心の状態には不要な緊張感といったものがさほどなく、それなりに安定した状況下に、話し合いながら“指導”が進められるのが一般的です。
これに対し、医薬品行政、特にGMP査察などに際する調査や指導の場合は、必要以上の緊張感の中で進められることが多く、時には互いの心の内の探り合いといったこともあり、心中は決して穏やかな状況にあるとは言えないでしょう。こういう状況の中で、様々な指摘が行われ、関連して必要なアドバイスがなされ、後日、正式に改善要請が文書として届けられる。これが、すなわち、行政の“指導”の流れとすれば、上記の家庭・学校・企業等で行われる指導のように、対話を通して相手の気持ちに入り込み、互いの考えや意見を交換するといった状況とは少し様相が異なります。
行政当局と製薬企業の間の“指導”の多くはこのように、どこかもどかしく、本質に踏み込んだやりとりに欠ける、言うなれば“不完全燃焼”の状態のまま終了し、これが繰り返えされる。要は、多くの場合、“心の底からの対話”に欠けることが懸念され、そのことが“指導”の効果にも関係するのではないかと推察されます。厚労大臣みずからが、医薬品の供給不安に関し、その改善のために様々なコメントをなされ、また、今回、後発品最大手の沢井製薬の試験不正に鑑みて、“監視指導”の強化を述べられる。この状況はこの数十年の医薬品行政においても極めて異例であり、製薬業界にとっても誠に残念なことです。
しかし、大臣のこのような要請やコメントを以ってしても、状況はそう簡単には好転しないでしょう。現在の医薬品不足には、これまでの医療・製薬等に関する様々な施策が根っこのところで関係し、それが、長い年月の間に製薬企業の品質管理や法令遵守体制に悪影響を及ぼし、今の状態を招いていると考えられるからです。言わば、長年の生活習慣が招いた病が簡単には癒えないのと同じで、原因と考えられる要因、つまり、時流に適さなくなった医療や製薬に関する様々な施策や慣行を改めない限り、根本的な解決には至らないと思われます。
とりわけ“毎年の薬価引下げ策”、“後発医薬品の使用促進策”、“同じ後発医薬品の乱立の容認”、“医薬品の製造・試験方法の変更に係る薬事手続きの困難性”などがボディーブローのように“製薬企業の体力を奪い”、結果として、多くの企業に“GMP対応の精度の低下”を来したと推察されます。このような状況下に、特に、工場における“変更管理の不備”が原因となり、後発品大手を含む十指に余る企業において、医薬品回収や業務停止を招き、今の深刻な医薬品不足に至っていると考えられます。
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