理系人材のための美術館のススメ【第11回】
第11回「散歩では近づいてはならぬ領域がある」
美術館にあまり足を運ばない方向け、「理系業界に美術館のご利用をプッシュしてみよう」という本コラム。
そろそろ終盤に近付いてきたかな、という感じですが、おかげさまでここまで続いた今、お付き合い下さった皆さまはきっと理解されたと思います。美術館に行くのが趣味だ、と言っていい程度には年間そこそこの回数足を運び、歴史も流派も技法も多少頭に入っているらしいこの筆者は、最初に「教養も素養もあるわけでなく、意識が高いわけでもない」と述べたが、事実それがまったくなんの謙遜でもないほど意識が低く、好きな絵だけが好きで、時に「人間が描いてあるとテンション下がるんだよ」…などといいがかりとしか思えない暴言を吐く、ただの趣味の人だということを。
これはとても重要なことなので何度でも言います。そして今回の話は、そのただの趣味の人から、ちょっとだけ美術館に興味を持ってくださった理系の方々への、一種の注意事項です。
【難しいってどういうことか】
この世には、何故かものごとをやたら難しくしたい人たちが存在します。主に理系業界の外において顕著だとお考え下さい。
フランス哲学者フーコーが、学術書を認められるためには「10%くらいは自分でもよく意味の分かんないことを書いておくのがコツだ」と言い、社会学者ブルデューが「足りねーよ20%にしとけ」と言ったという逸話は有名です(※意訳)。二人とも確かに分かりにくいですが、言っていることはわりと普通で、けして奇をてらった学者ではありません。フランスのような階層社会では、確かにこの傾向があります。
この「ものごとを分かりにくく難しくしたい派」の人たちは、身の回りのあらゆるジャンルに存在します。身近なファッション、食事やお酒類、金融・経済・ビジネス、さらに社会学・思想系学術界などなど。そして間違いなく、芸術界隈にも住んでいます。
ファッションは芸術に入れていいわけですが、是非次のパリorミラノのA/Wコレクションあたりが開催された際には、新作コレクションのプレス批評を直にご確認ください。業界人以外が見ると、小難しいコメントがランウェイの服となにひとつ繋がって見えなくて、「なに言ってんだこいつ」と驚くほどです。
さて、この人たちが「仲間内以外の一般人」に対し行うアクションは、ふたつに分かれます。そう、
1.「難しくないよ、簡単なんだよ!」といって金を払わせる
2.「これは難しくて君らには分からないだろうね」と言ってふんぞり返る
明白なまでに、どちらかです。1は場合によって詐欺も含みますので、できればどちらも付き合わないのが安全パイです。つまりこの人たちは、のんきに散歩をしたいのであれば、避けねばならない領域となります。
まず問題なのが、この手の「難しさ」が本当に難しいのかというと、大抵はごく普通の話をしているだけで難しくはない点にあります。
確かに学術書というのはそのまま読むと、何故か「句点でちゃんと分節を切れば読みやすいにも関わらず、読点で『しかし』を間に三回挟んでまでひとつの文にまとめてくる、お作法的に最悪の日本語」がばしばし登場します。読みにくいですが、別に難しくはないです。これは難しいのではなく、読みにくいだけです。翻訳者が作者の意図を酌み、小難しくしてあげた親切心の産物であり、コンパクトにやさしくまとめると「人間なんてクズだちくしょう世の中みんな大嫌いだ」と言っている書物は、けっこうあります。鬱屈している本は20世紀末の社会学系に多いのですが、たぶん小難しくしないと身もふたもなくなっちゃうのでしょう。だからといってふんぞり返られると困ります。
そして分かりづらさと詐欺の組み合わせナンバーワンの地位に輝く「金融」なども、本来「経済」よりよほどロジカルでシステマチックなので、複雑ではあるけれど難しくはありません。根本的な国際金融のイロハくらいを押さえちゃえばむしろ美しいので、「ちょっと難しいよね? 大丈夫だよ!」…などと言って近づいてきたすべては振り払ってください。難しい、と面倒くさいは違うんだ。
この世の中でほんとうに難しいのは、人間が作っていないもののほうじゃないでしょうか。理系の方々が向き合うのは、基本こっちです。自然科学も生命科学も物理科学も、ブラックボックスはブラックボックスのままで、本当に難しいことはたくさんあります。あ、突然文学的ですが、人の心とかも難しいですね。人が作ったわけではないから。
しかし、こういう本当に難しいことは「専門家ぶる」こと自体わりと困難なため、詐欺師も偉ぶる人もそんなに多くはありません。いつか周囲にぶったたかれて勝手に終わってくれます。
引き換え、哲学や美術や金融などの「人間が作ったもの」の解釈には微妙に正解がなく、そのせいでお互い派閥、もしくはぐっだぐだな輪ができてしまい、好き勝手しても特に誰も突っ込めず、難しくしたもの勝ちに陥りがちなのです。
「そのおかげでおまえも、こんなふわふわしたコラム書いても誰にも咎められないのだろう?」…と言われれば、まったく返す言葉もありません。しかし私はただの趣味の人で、ロジックに疲れた頭のリラックスに有効活用しようぜ、散歩はいいぜ、と言っているだけなので、害はありません。大丈夫です!(大丈夫と言えば言うほど…)。
しかし、害のある人はいるのです。
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