ソー責のソー肩にはソー当重い責任がのっている!【第3回】


 26歳から33歳までの8年の研究所での実験の生活の中で、自分で仕事を切り拓いていくという面白さを経験し、次に本社薬品生産部に異動した。業務引き継ぎは、1日で終わり、研究所では滅多に使わなかったネクタイはきつく慣れるまでに1ヶ月程かかった。本社の仕事は、毎日、新しいことの連続で、ちょうど一年経った頃に、やっと「あれ、これは前にやった仕事と同じだ」と感じた。この間の一年間は、毎日が初めて経験する仕事の連続であった。職場は、課長1名に技術スタッフ(課長代理)3名(製剤1名、合成1名、発酵1名)と少ない要員構成であった。
 自分の担当は、2つの国内と2つの海外発酵工場、研究所、その後に食菌(きのこ)、海外部門の技術フォローと幅広いものであった。まだ、品質保証組織を本社に設置していない時代であったので、発酵原薬の品質関係にも携わった。職場は、若手に思い切り仕事をさせるという風土で、少ない要員ではあるものの、権威があり、決断とスピードの早さで有名であった。工場や研究所の現場には多くの技術要員を充てており、小さな本社組織と現場との連携が強化され、現場を重視するものになっていた。
 30代前半の課長代理(係長)クラスが、原価から工事申請、生産技術から企画、管理、品質まで仕切っていた。そこで3年を経過した頃に、一つのプロジェクトを立ち上げることになった。世界との競争に勝とうというテーマであった。明治製菓は、縦型発酵槽で総容量5000KLを超す世界有数の規模で抗生物質を生産している。

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