経歴 1975年明治製菓(現 Meiji Seikaファルマ)に入社。発酵技術研究、本社薬品生産部生産技術Gで各種プロジェクトを推進後、研究企画管理室長、足柄工場培養室長、岐阜工場品質管理部長、小田原工場長(製剤)、薬事・監査部長等を歴任、2007年執行役員 信頼性保証センター長(総括製造販売責任者)。2012年に役員を退任。この間、神奈川県製薬協会長、日薬連品質委員会常任委員、東薬工品質委員会副委員長等も務める。 ※2017年5月現在、一般財団法人化学及血清療法研究所 理事長(代表理事)
2014/08/04 AD 製剤
ソー責のソー肩にはソー当重い責任がのっている!【第9回・最終回】
1. 総括製造販売責任者の自覚 4年半の小田原工場長の後、2005年10月本社に異動、総括製造販売責任者に任命された。総責は、薬剤師が要件で、会社に一人である。医薬品製造販売業(第一種、第二種)、医薬部外品、動物用医薬品、動物用医療機器の総責である。 GQP省令が施行されて半年後であったため、総責
2014/06/30 AD 製剤
ソー責のソー肩にはソー当重い責任がのっている!【第8回】
はじめての製剤工場 2001年4月に岐阜工場から小田原工場へ異動、前任の品質管理部長が体調を壊したため急遽製剤工場の品質管理を経験することになった。小田原工場は、赴任する4ヶ月ほど前に自主回収を行っていたことから、工場の雰囲気は決して良いものではなかった。 赴任して直ぐに原薬工場と製剤工場は違
2014/04/07 AD 製剤
ソー責のソー肩にはソー当重い責任がのっている!【第7回】
1.本社から研究所に異動、そして生産現場の経験 本社薬品生産部の技術G(グループ)課長の後、研究所で企画管理室長を経験することになった。入社して8年間を研究所で発酵を行ったことは第2回に書いたが、その研究所に戻ることになった。18年ぶりの研究所であった。企画管理には、これまでの技術に加え、事務関係
2014/02/10 AD 製剤
ソー責のソー肩にはソー当重い責任がのっている!【第6回】
中国 技術の調査の目的で、初めて中国に出張したのは1984年であった。上海、武漢、重慶、北京というコース、当時はほとんどの人が人民服を着、赤い☆のついた帽子をかぶっていた。外国人がつかうお札は、中国の人が使う人民元ではなく兌換券である。市場で兌換券を出すとこれは中国のお金ではないと言われたこともあ
2014/01/20 AD 製剤
ソー責のソー肩にはソー当重い責任がのっている!【第5回】
前回は、ペニシリンの30%コストダウンプロジェクトに成功できたことをお話ししたが、そのことでMeiji Excellent Memberに選ばれた。副賞は米国旅行であった。 足柄工場の主力製品ストレプトマイシン、次に安全性の高い新除草剤ハービエース(ビアラホス)でプロジェクトを進め、全て30%のコ
2013/12/09 AD 製剤
ソー責のソー肩にはソー当重い責任がのっている!【第4回】
(前回の続き) 3)海外企業の視察 日本でのペニシリンGの原薬生産が、「世界で生き残れるか?どうすれば勝てるか?」を調べるために、工場の培養、精製の現場の精鋭技術者2名、本社から1名(私)をヨーロッパの発酵企業の視察に送り出した。1ドル121円に近づく1987年11月である。技術、設備、コスト
2013/11/18 AD 製剤
ソー責のソー肩にはソー当重い責任がのっている!【第3回】
26歳から33歳までの8年の研究所での実験の生活の中で、自分で仕事を切り拓いていくという面白さを経験し、次に本社薬品生産部に異動した。業務引き継ぎは、1日で終わり、研究所では滅多に使わなかったネクタイはきつく慣れるまでに1ヶ月程かかった。本社の仕事は、毎日、新しいことの連続で、ちょうど一年経った頃
2013/10/07 AD 製剤
ソー責のソー肩にはソー当重い責任がのっている!【第2回】
総責は、思想、哲学、考えをしっかり持たなければならない。今、そのルーツを辿っている。前号では、薬学生の時代の話をしたが、今回は、入社後、研究所の話をしていく。 「ソー責のソー肩にはソー当重い責任がのっている!」という本題までには、中々届かないが、技術屋の気楽なエッセイと考え、読み倒して頂きたい。い
2013/09/02 AD 製剤
ソー責のソー肩にはソー当重い責任がのっている!【第1回】
プロローグ どのようなお話しをすれば良いか? テーマの締め切りの日もデスクで色々と考えていた。しっくりするものがない。まあ、いいやと近くのスポーツクラブへでかけた。水中ウォーキング1時間である。水は冷たく、心地良い。下半身への水圧の効果で血流も上がり、頭も回転しはじめた。机に座っている時とは違うア