医薬品委受託製造に関する四方山話【第7回】

13.委受託ビジネスの醍醐味その1
 私の略歴を見ていただければわかりますが、大きく分けると前職の塩野義製薬時代(21年間:1985年-2006年)と武州製薬時代(7年間:2006年-現在)の2つに分けられます。塩野義製薬時代の21年間は、製造若しくはCMCに関連した業務一筋に携わってきました。一方で武州製薬に入ってからは、その製造の上に経営という大きな責務を背負うことになりました。武州製薬社長となってから、何が最も変わりましたか?という質問をよく受けるのですが、お酒が強くなった、血圧が高くなり降圧薬を飲むようになった、よく話をするようになった、またその話が長くなったなど変わったことが一杯ある中で、わかりやすいものをひとつだけあげるとすると、いただいた名刺の数が圧倒的に多くなったということが挙げられます。先日、武州製薬社長となってからはじめて名刺の整理をしたところ、7年4か月の間に約3,500枚の名刺をいただいていることが判明し、我ながら驚きました。塩野義時代の21年間での合計枚数が500枚程度ですので、ホントにびっくりしました。これだけの方々と7年間の間にお会いし様々な形で関わってきて、どれだけ私や武州製薬が貢献できたのであろうとふと考えてしまいました。また、一方で、それだけの数の名刺を整理できていない現状を反省し、ご挨拶が滞っている方々もずい分多いなあと顔を思い浮かべている次第です。
 
 さて、お察しの方も多いとはおもいますが、私はホントは几帳面な性格(?過去形ですが)でした。幼少期(中学生くらいまで)は特にそうでした。大阪の淀川小学校時代は、5,6年の担任の先生から、笠井君は勉強もできて、スポーツもできて、性格も良くて(??)、女の子にももてて(昔は髪も多く丸顔でした)、間違いなく東大に行き、日本の将来を支える人になると言われたものでした。高校、大学時代以降に知り合った私を知る人には、うそでしょ、と一発で笑い飛ばされそう(家内も信じません)ですが、実はそうだったのです。それがいつの間に、変わってこうなったのでしょうか。曲がりなりにも社長になったので、少しは当たっているのかもしれませんが、高校、大学時代の私を知る友人からは性格的にはありえないでしょといつも言われます。おそらく、高校、大学、さらには社会人になってからも性格や考え方が大きく変革されてきたのだとおもいます。まず、大学時代以降の友人は私のことを、自分のやりたいことを自由にやり、おおざっぱな性格で悩みなどひとつもない楽天家で、面倒くさがり屋で経営など不向きだといいますが、実は中学生くらいまでは、几帳面で気が弱く真面目一徹の人間だったのです。井の中の蛙の小学校時代は、言われたことをしっかりやることで成績がついてきましたし、家の周りの路地を毎日走り回っていたので自然と筋力がつき、足が速いのが自慢でした。また、テストでは必ず100点をとり、できない問題があると悔しくて眠れない日があったことも、今こうして書いている最中に思い出しました。担任の先生には成績が良くて、運動神経もよくて何でもできる神童などと今考えれば恐れ多いことを言われたものです(ただし、音楽と美術は当時からダメでした。だから今も音痴なのです)。そういった性格や行動パターンがいつ変わったのでしょう。まず第一の分岐点は、高校に入ってサッカー部に入ったことです。第二の分岐点は、塩野義製薬から米国シェリングプラウに二年間行ったこと、第三が塩野義から武州への異動だったとおもいます。まず、第一について話をします。高校時代にサッカーをやりだして人生が大きく変わりました。サッカーを始めた動機がまた不純です。小学校、中学校時代でしょうか、TV番組で「飛び出せ青春」という学園ドラマがあり、それが高校生活とクラブ活動としてのサッカーを舞台にして青春時代をエンジョイするという他愛もないドラマだったのですが、つまらない小・中学校の生活を送っていた私には、「これだ!」サッカーさえやれば楽しい高校生活を送れる、自分のおとなしい真面目一徹な性格も変革できると思い込んだのです。実は、その時には私は知るべくもなく後で教えてもらったのですが、9歳上の兄は、「俺は男だ」という森田健作のTVドラマに惑わされて剣道をやり始め、6歳上の姉は「サインはV」というバレーボールのドラマを見て、バレーボールを始めたということで、何という血縁、何という単純な家族なんだろうと後年になった今でも3人で会えばそんな話をしています。だいぶん話がそれましたが、大阪の市岡高校で、サッカーをやりながら、かつそこで主将をやりながらいろいろなことを学びました。また、そのころのサッカー、ひいてはスポーツ指導はひどいものでした。練習中には絶対水を飲ませてくれませんでした。いくら暑くて脱水症状(当時はそんなワードはなかったと記憶していますが)寸前で水を飲みたくても飲まずに我慢することで、根性がつく、辛抱強くなる、そしてプレーに磨きがかかるという、今の指導者が聞けば、吹き出したくなるような指導が公然と展開されていたのです。高校2年の夏のある日、主将になったばかりの私は、前日から体調が悪く、食事もろくにとれない状況の中、主将はどのような状況下にあっても常に先頭を切って走るものだという教えのもと、ふらふらになりながら12分間走(12分でどれくらいの距離を走れるかという競争)を何本も走り、練習後にぶっ倒れ救急車で病院に担ぎ込まれたた事件がありました。今思えば、これが私のサッカー選手としての寿命を縮めたと考えています。あのTVドラマとは全然違うサッカー三昧の日々でした。一方で、友達が増えたのは事実で、このころからでしょうか、対人関係をうまくやれる自信がついてきました。意見を言い、時には跳ね返され一人ぼっちになることもありましたが、倒れるまで頑張った私の姿を見て、人がついてきてくれるようになったのを覚えています。やはり、リーダーは先頭に立ち、自らが窮地に追い込まれるまでどっぷりとつかるものだとこの時に学びました。と、ここまで話をして、最初の話題に戻ると、言わねばならないことが2つあります。1つは、私が昔は几帳面な性格であったこと(だから今でも少しはその性格が顔を覗かせます)。それから2つ目は、対人関係をうまくやれるこつを高校時代に学び、それが現在にも活かされ顧客を始め、事業関係者、友人など様々な方の名刺が約3500枚に到達したという事実です。こういった多くの方々と様々な形で関わりながら、今の自分があり、自分が支え支えられている武州製薬があると考えると、ほとんど迷うことはありません。いいと思うことは実践しよう、悪いことはやめよう、いいか悪いか判断できないことは誰かに相談しやり方を変えようといった具合になります。委受託をやっていると違う文化の2社若しくは3社の関係がどんどん膨らんでいき、いつのまにかまた別のところで繋がるといった不思議な巡り合わせにも出くわします。それがまた何とも不思議なものでよく海外の方とは"It's a small world!"と談笑したりします。
 
 第二の分岐点は塩野義製薬時代に米国シェリングプラウ社に2年間、会社間研修で行かせていただいたことです(1997-1999年)。この2年間があるから今があるとつくづくおもいます。外国人アレルギーがなくなり、彼らの考え方、生活スタイルの良き点を学び、外資系製薬企業の方々とのお付き合いに繋がっています。帰国後もプライベートでは、海外旅行に行くと、必ずレンタカーを借りて自分で自由気ままの旅に出かけます。海外の方の名刺もお陰様で、およそ1,000枚(推測)になりました。第三の分岐点はやはり、武州製薬の社長となったことです。塩野義時代の最終略歴は、治験薬製造室長兼CMCオフィス長ということで、直接の協力者は10人程度、間接を含めても総勢40名程度だったのが、いきなりその10倍程度に膨れ上がり、それも会社の社長ということでしたから、その辞令が出たときにはほんとにびっくりしました。何をやればいいのかもわからないまま、とにかく前社長に連れられるに任せて顧客挨拶に行き、後は、あっという間に時が流れたという感覚です。とにかく最終意思決定をする、だから責任をとるということだけを肝に銘じ、さまざまな案件に真正面から取り組むということに邁進しました。したがって、最初の3年間は、社長の仕事というよりは、実務担当者レベルの仕事も結構やってきました。いいこともあったし、誤解を受けるようなこともよくありました。また、塩野義製薬から現在の東京海上キャピタルへの株主変更も大きな事象でしたが、すべてポジティブに考えることで、乗り切りました。
 
 名刺の話に戻りますと、私の場合、やっと整理はしたものの分類はできておらずもらった順に入れてあるだけです。したがって、同じ人の同じ名刺が4-5枚あるといった例もあります。今、私の業務室はあらゆる書類、文献、書物が乱雑に積まれております。多くの関係者と関わり、いろいろな場面で様々な議論をする中で、また、私の性格、行動パターンを良い方向に変えていければとおもいますし、名刺を整理し、その数を認識し、そういった機会は格段に増えたものだとあらためて感じました。委受託の醍醐味の1つはこんなところにあるのではと考えています。支離滅裂、少々長くなりすぎました。
 

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