いまさら人には聞けない!微生物のお話【第49回】
【免疫とワクチンに関する逸話-1】
ワクチン(Vaccine)という用語は、ジェンナーが牛痘法でウシを使ったことより、ウシ(雌牛)を意味するラテン語のVacca に由来します。
古くから西アジアや中国では、天然痘患者の膿を健康人に接種して軽度の天然痘を起こさせて免疫を得る人痘法が行なわれていたが、数%の重症化する例もあり、安全性は充分でなかった。1796年にイングランドの医師エドワード・ジェンナーは、ウシが飼育されている家や地域では牛痘にかかると天然痘にならないという伝聞に着目、これの膿を用いた安全な牛痘法を考案し、これが世界中に広まり、天然痘の流行の抑制に効果を発揮した。
ウィキペディアより
18世紀、イギリスのエドワード・ジェンナーは、乳搾りの女が牛痘にかかると天然痘にかからないと聞き、実験しようとした。そして1796年5月14日、サラの手にできた牛痘疹からウミを取り、ジェイムス・フィップス少年に接種、一週間後に腕に牛痘疹ができたのを確認、それから一ヵ月後、天然痘患者の膿庖からとった材料を接種した。少年には天然痘の症状が出なかった。
ジェンナーは1797年、イギリス王立医学会に報告書を提出。しかし、王立医学会はこの報告を信用しなかった。
1798年、ジェンナーは再実験を行い、報告を自費出版した。ジェンナーは貧しい人々に無料で1日300回もの種痘をして効果をあげた。
1801年、「種痘の起源」という報告書を書いた。
1802年、国が1万ポンドの補助金を出した。
1803年、ロンドンにジェンナー協会が作られ、ジェンナーが初代会長となった。ジェンナーは牛痘を「variolae vaccinae」と呼んだ。ラテン語でウシの天然痘という意味である。
1800~1803年に種痘は各国で広まった。
19世紀の半ばからは子ウシを使ってワクチンが造られる。
http://spider.art.coocan.jp/biology2/immunehistory.htm より抜粋
【免疫とワクチンに関する逸話-2】
ジェンナーの種痘の開発以降、1世紀近くワクチンの実用化に向けた動きはなかったようですが、1870年代にフランスのパスツールがニワトリ・コレラの予防の研究から病原体を弱毒化し、それを接種することで病気が防げることを見出し、免疫学の基礎を築きました。パスツールは天然痘予防の牛痘種痘法を見出したジェンナーに敬意を表し、予防に使った弱毒化した病原体をVaccine、その接種をVaccinationと呼びました。
・・・・毒性に関する実験の間に死ななかった動物を検査すると、その筋肉中に同じ微生物が多数存在していたので、死んだ動物と同じ病気にかかっていたことが分かった。一般に急性疾患が再発しないことを考えると、動物が死なない程度に病気にかからせることによって、その後の致命的な病気を免れるようにできているのはないだろうか。空気と接触させなかった毒性の高い菌を新しいヒヨコに接種すると100%死ぬが、この菌を1度接種して死ななかったヒヨコに再接種してももはや死なず。また決して発病しないことが分かった。
Pasteur, Louis, 1881. Sur les virus-vaccins du cholera des poules et du charbon.(ニワトリコレラと炭疽のワクチンについて)--- 藤野恒三郎監訳 「微生物の一里塚」より引用
ニワトリ・コレラという病気がある。これは家きんの伝染病で非常に重篤な病気である。1879年の夏、パスツールは、歴史的な実験を行った。夏休みで栄養補給をできていない培養基があった。その培養基のニワトリ・コレラ菌をニワトリに接種したが、ニワトリは病気を起こさなかった。この時、パスツールの天才的なひらめきがあったと思われる。先にニワトリ・コレラ菌を接種したニワトリと接種していないニワトリの二種類のニワトリに、本物の新しい培養菌の接種を行ったのである。結果として先に菌を接種したニワトリは元気で、初めて菌を接種したニワトリが全部死んでいることを発見した。このパスツールのニワトリ・コレラの実験は、人類の医学の歴史を飾る実験の中でも、最も偉大な実験のひとつではないかと思う。
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