細胞加工施設を運用するキャリアの謎【第6回】

本稿は、再生医療業界において細胞培養加工施設と呼ばれるハードウエアに関わる人間が、出自文系という不可思議なキャリアを絡めつつ、当該分野についてつらつら書いているという、どこにニーズを置いたらいいかよく分からないコラムである。よくセミナーなどで講師をする際、事前に「このセミナーを受けて習得できる内容」などを書くが、このコラムでそんなことを要求されていたら困っただろうな…と思う程度には、コロナ禍を挟んで全6回+α、徒然の内容だった。正直筆者が「あんまり真面目にキャリア考えてこなかった人」であることが露見した内容だった気がする。
 そんなコラムも、一周回ってちゃんと再生医療に話を戻し、今回で終えようと思う。

▽○○哲学というもの
 さて前回は「役に立たないけど楽しいからいいじゃん」という、フラフープ遊びみたいな言われようをここでされた哲学さんだが、最近、書店をめぐるとそこに「○○哲学」の表題をやけに見かける気がするのは気のせいか。いや、○○の箇所にごく身近なジ●リとか入った一般タイトルはもとより、親書でヘーゲルは冒険じゃない?とか、同じく新書でスピノザとか、えっラカンですか正直丸ごと一冊ラカンはキツいですとか、まあ専門書ではない範囲にもそういう本をちょいちょい見かけるようになったな、という感触がある(書店がそもそも専門店、というわけでもありません)。
 実は、こんなふうに「哲学」という語がプチ流行りするタイミングには以前から法則があると言われている。哲学は「既存の社会の枠組み」に一般の人が不安を覚えた時に振り向かれる、というもので、なるほど○○哲学系タイトル以外にも、民主主義とはなにか、国とはなにか、資本主義とはなにか、という制度に関するタイトルもこのところ多い。勿論、世界が好景気に浮かれているとき、この手の話はあまり振り向かれない。
 コロナウイルスによって、図らずも同じ問題を枠組みが異なる世界中が共有してしまったわけだが、そこに生まれた差異や考え方の違いを突きつけられて、今更ながら「世界」の広さを考慮する上では、確かに「なんで、どうして、なんのために?」という、本質的なところを掘り下げるツールは必要ということなのかもしれない。
 たとえば、日本でも緊急事態宣言の際、他国とは異なる法の建付けについて議論がなされたわけだが、そもそも法の強制力とはどこから生まれていて、国はなにを根拠にしてそれを執行する存在であるのか?…が不明瞭だと、問題すら曖昧になってしまう。冒頭のヘーゲル新書における「法哲学」はもとが難解な上、読み飛ばしがまったくできない構成のため冒険だとは思うが、そも「法」とはなんぞや?と疑問に思ったら、ヘーゲルは避けては通れないだろうとは思う。

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