私が経験したあれやこれやの医薬品業界【第2回】

 1987年に第一製薬米国子会社に出向しました。当時は従業員5~6名で、ファインケミカル品(ビタミン原料など)を、米国の代理店を使って販売することが主な業務でした。医薬品事業に関しては、自社創製のキノロン系抗菌薬のライセンス先のJ&Jとの折衝を行いながら、医薬品自社開発、自社販売の体制構築を始めました。臨床開発のための高級人材を採用し、管理系、営業系の人材も採用、従業員数は膨れ上がりました。

 なんといっても米国での事業では、英語で苦労しました。アメリカ人同士の会話についていこうとしても、なかなか聞き取れないのです。特に日常会話は全く聞き取れないこともしばしば。それでも数か月して、社会のいろいろなシステムが分かり、人の名前や地名、会社名など固有名詞が聞き取れるようになると大分楽になってきました。業務、ビジネスの話は何についての話か分かるのでまだましでしたが、多人数の会議では半分くらいしか聞き取れないこともありました。特に、医薬品開発関連の会議では専門用語も多く理解も不十分なのです。そして、ある時、議事録を書け、しかも誰が何を言ったか、詳細な記録が必要と言われた時には目の前が真っ暗になりました。会議後、参加者ひとりずつの発言を聞きに行き、何日もかけて作成しました。それ以来、議事録作成の仕事は来ませんでした。

 英語に慣れようと、自分から米国人に話しかけ、電話もかけました。電話をかける前には、何を話すかを整理し、英単語を調べてからダイヤルしていました。しかし、気心が知れている親しい人と話しているだけではだめです。初対面の人、ましてそれが電話では苦い思いも数多くしました。アメリカ人の中には英語がうまくない外国人を馬鹿にするような人もいます。日本人は英語で引け目を感じる人も多いと思いますが、私もその一人でした。アメリカの小説家、シドニー・シェルダンの小説の中で、学校の友人の英語がおかしいと嘲笑する子供に向かって、母親が「英語がおかしいということは、英語以外の言葉も話せるということなのよ。あの子のことを馬鹿にしてはいけません。」とたしなめる場面がありました。アメリカ人でもそう考える人がいるのだと知り、感激した覚えがあります。
 そうこうしているうちに、相手の目や顔の表情を見て、聞き逃してはいけない言葉と分からなくても聞き流していい言葉という分別をして、全部を聞き取ろうとしないようにすると、逆に全体が理解できるということに気が付きました。皆さん、普段はそんなに大した話はしていませんよね。

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