私が経験したあれやこれやの医薬品業界【第6回】
中国事業
2009年時点で第一三共は、中国以外は既に統合した会社として事業を行っていましたが、中国だけは2社(北京第一製薬、上海三共)が別々の事業を継続していました。2社を統合して第一三共中国として新たな事業体制を構築することをミッションとして、2009年4月に北京第一製薬の董事長兼総経理、および上海三共の董事長として北京に赴任しました。多分これが第一三共での最後の仕事だという緊張感を持っての赴任でした。
第一三共発足の2007年時点から中国での事業統合に向けての議論はありましたが、具体的な動きはなく、何がハードルになっているかを確認することから始まりました。結論から言うと、ハードルは人の問題でした。別に悪人がいたわけではありません。しかし、北京と上海の人が対等に、一つの組織で働くことの難しさです。北京第一製薬と上海三共の事業規模はほぼ同じで、これを一つの事業体にすることがどんなに難しい事か、両方の従業員たちと話をしてよく分かりました。
北京と上海は言語、文化が大きく異なります。行政にしても、中央政府お膝元の北京と進取の精神に富んで、中央政府の言いなりではない上海という地域文化の違いもあります。北京と上海だけでなく、各地方は独自の文化、民族があり中国が一つの国として機能していることは中央政府の腕力と財力のすごさだと感じます。北京の人と上海の人を一つの事業体で働くようにすることも奇跡に近いことで、やはり腕力と財力が必要でしたが、私にはそれがなく、苦難の道でした。
北京と上海に機能別に拠点を置くことも考えました。開発・薬事は当局のある北京に、営業は沿岸部大市場の中心である上海に置く、等です。本社の担当部署との議論を含め、一年近く深刻な議論を重ねましたが、結論は第一三共中国事業の拠点は上海に片寄せすることになりました。北京第一の従業員の反発は凄まじいものがありました。会議室での説明会、個人との話し合いなど、大変辛い数か月でした。新会社の発足決起会合を杭州で行いましたが、北京の従業員はボイコットするかもしれないという話も事前に聞こえていました。会場で北京第一の人たちの顔を見た時に、頭が下がったことは忘れません。
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