ジェネリック医薬品の四方山話【第4回】

~ ジェネリック医薬品の歴史を振り返る ~

 今回は日本におけるジェネリック医薬品の歴史を振り返ってみよう。実は日本で今日的な意味でのジェネリック医薬品が製造販売されるのは1960年代の半ばごろだ。それまでは一般用医薬品と医療用医薬品の区別もあいまいだった。このため1967年に両者の申請承認方法が区別された時点以降を調べてみると、日本で最初のジェネリック医薬品はブスコパンの後発品だったようだ。ブスコパンの後発品であるブチルパンが当時の北陸製薬から、スコルパンが関東医師から、ブスポンが三田製薬から製造販売されたという記録が残っている。また当時は特許が製法特許のみだったこともあり、新薬の製法特許が切れると他の新薬メーカーも競って後発品を製造販売したようだ。たとえばプレドニゾロンの製法特許が切れると、各新薬メーカーも競って後発品を製造販売した。新薬メーカー、ジェネリックメーカーによるジェネリック製造競争が始まる。その後、ノイチームが60社から、イノシトールが20社からゾロゾロと製造販売される。「ゾロ品」の時代が到来だ。
 その当時のゾロ品には品質や供給面で問題のある品目も実際には含まれていたようだ。よく「ゾロ品を飲んだらおしりから溶けないでそのまま出てきた」、「アンプル容器の中に虫が混入していた」、「小さなゾロ品メーカーはちょっとだけ作って、すぐ売り逃げをする」などと巷にゾロ品の悪口が蔓延していた。
 また後発品の承認方法も現在とは異なっていた。1980年以前のジェネリック医薬品は現在のようなヒト試験による生物学的同等性試験は義務化されていなく、「動物試験」のみで承認されていた。その動物試験も「ウサギを10羽使って試験をしたとメーカーは言っていたが、実際に査察して見たらウサギのケージが1つしかなかった」とか、「動物実験の血中濃度の推移グラフが先発品のグラフをトレースしたように一致していた」などと試験方法にも問題があるメーカーもあったようだ。
 こうした課題が解決されるのは1980年代から1990年代の後半以降だ。試験方法にヒト試験を課したり、溶出試験を課したり、高温多湿でも品質が保たれているかを確かめる「加速試験」を行ったり、実際に市場に出回っている製品が承認時の製品と同じものであることを証明する「実生産バリデーション」を行ったりすることを義務付けた(図表)。
 
ジェネリック医薬品の承認申請試験は1980年代から90年代に大きく変わった

 
 このように1960年代中ごろから始まったゾロ品だが、1990年代の後半以降のジェネリック医薬品は、それまでの承認ハードルが格段に上がったため、かつてのゾロ品とはまったく別物と言ってもいいくらいに異なっている。実際に1997年からはそれまでの動物試験等で承認していて、すでに市場に出回っていたジェネリック医薬品の再評価試験も行われる。この再評価試験は主に溶出試験で行われた。この再評価の結果を見ると、2008年6月までに再評価が行われた4265品目のうち3906品目は品質基準に合格したが、なんと359品目が不適応とされた。このようにして旧い時代のジェネリック医薬品を「ふるい」にかけたというわけだ。そして合格した品目については、医療用医薬品品質情報集(日本版オレンジブック)に収載することとした。
 ただ今でもかつての1960年代の半ばから90年代の半ばにかけての30年間に定着した「ゾロ品」イメージがなかなか払しょくできないでいる。特に医師の間でこうしたジェネリック医薬品の承認方法とその歴史の変遷が知られていないことが問題だ。ゾロ品イメージの払しょくにもまずこうしたジェネリック医薬品の歴史を学ぶことをお勧めしている。

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