ジェネリック医薬品の四方山話【第3回】

~米国のジェネリック医薬品の歴史~

 2009年12月に虎ノ門の米国大使館で当時に日本に進出してきた米国のジェネリック医薬品メーカーのマイラン社と、日米ジェネリック医薬品シンポジウムを開催したことがある。マイラン社からは当時のコーリー会長、フェザー社長など幹部が参加した。1961年創業のマイラン社は米国のジェネリック医薬品の歴史をすべて体験しているといってよい企業だ。こうした米国におけるジェネリック医薬品の生い立ちについて、マイラン社の幹部から直接、話を聞けたことはシンポジウムの大きな収穫だった(写真)。


(写真)米国大使館における日米ジェネリック医薬品シンポジウム(2009年12月15日、東京虎ノ門)
右から4番目がマイラン社コーリー会長、5番目がフェザー社長、左から4番目が著者

 
 まず米国のジェネリック医薬品の歴史でいつも語られるのが、1984年に成立したハッチ・ワックスマン法のことだ。この二人の上院議員の名前をつけられた法律は、二本の法律が抱き合わせられている。ひとつはジェネリック医薬品の承認を治験なしで生物学的同等性試験のみで簡略申請で承認するという法律と、新薬の特許期間の延長を行う二つの法律だ。つまりハッチ・ワックスマン法は、ジェネリック医薬品企業には簡略申請でジェネリック医薬品の市場を拡大する道を拓くと同時に、先発品企業には特許期間延長によって新薬市場を保護するというものだ。この法律の趣旨は先発品企業と後発品企業それぞれに利益を与えてバランスを取ることにより、全体として米国の医薬品産業の発展を促進しようとするものであった。
 さて1984年のハッチ・ワックスマン法以前は、先発品の特許が切れたあとにジェネリック医薬品の承認を得るには先発品と同様、治験を含めた安全性と有効性の科学的データの提出を求められていた。「有効成分が同じであるジェネリック医薬品が、なぜ先発で実施された治験を重複して行わなければならないのか?」、「それは時間と経費のムダであり、高額な先発品に代わって安価なジェネリック医薬品を一刻も早く国民に提供するというジェネリック医薬品本来の趣旨にも反することではないか?」というのがジェネリック製薬企業の兼ねてから主張だった。
 このハッチ・ワックスマン法以来、ジェネリック医薬品の承認に必須要件であった治験データが不要となった。これ以来、ジェネリック医薬品の承認件数は飛躍的に伸びた。そしてジェネリックメーカーは莫大な治験経費を投ずることなくジェネリック医薬品を安価で市場に送りだすことができるようになった。このジェネリック医薬品の簡略承認方式が、この後世界標準となる。

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