医薬品品質保証こぼれ話【第6回】
合理性に潜む品質リスク
日本では食卓に膳を整える際、手元に箸を横方向に置きますが、中国では通常、右側に、先を上にして縦方向に置くのが慣例です。ちなみに、西洋料理の場合は、左右に、縦方向にフォークやスプーンを配置します。この箸やスプーンの配置方法は食事作法と関係することは言うまでもありません。和食の膳を戴く場合、前に整えられた料理に感謝し、先ず、手を合わせ「いただきます」を言い、手元の箸を両手で取り上げ、先を揃える動作をし、食事に入ります。割り箸の場合は、先を上にして両手でゆっくり引き割り、同様に食事を始めます。こういった食事に入る前の一連の動作の時間には、上記のように、目の前に整えられた食事への感謝と、これから、それを戴くことへの愉しみ、期待などの心の動きからちょっとした余裕が感じられます。
一方、同じ箸を使用する食文化でも、中国の場合は、自席の前に料理が回って来ると、右側に置かれた箸をとり、直ぐに食事を始めます。そこには、和食を戴く場合のような食事への感謝や期待といった心の動きはあまり感じられません。極めて合理的で時間の無駄はなく、スピーディーです。これは、どちらが優れているという話ではありません。中国の場合は、客を迎えて円卓を囲み会食する場合、招待した主人が主賓の横に座り、前の大皿の食事を主賓の皿に取り分けて歓迎の意を示すなど、日本にはない、好ましい習慣もあり、こういったことはその国の長い歴史の中で培われた、食事様式や商習慣などに依るものと推察します。
合理的と言えば、中国は現在、簡体字を使用していますが、これも合理性を求めた結果と考えられます。日本の10倍を超える人口を擁する中国が教育上の施策として、覚えやすく早く書ける簡体字を考案し、常用漢字として公式に制定したと聞きますが、表意文字としての漢字が持つ優れた特性と引き換えに、国の発展の基礎となる識字率の向上を優先した結果と考えられ、これも、合理性を求めた好例と言えるでしょう。
少し前置きが長くなりましたが、翻って、医薬品製造について考えるとき、この「合理性」の追求は、「科学性」とともに大変重要な要素であり、その発展に寄与してきたことは間違いありません。製剤開発や工程設計、また、バリデーションといったものを含め、医薬品製造に関連する技術や規制は、この二つのキーワードを基礎に進展してきたと言ってもよいのではないでしょうか?その結果、長い年月を経て、より高度な品質システムの下に、高品質の医薬品の製造が可能になってきていることも事実です。しかしながら、医薬品製造を取り巻く環境のグローバル化や規制のハーモナイゼーション、また、原薬製造国やサプライチェーンのパラダイムシフトなどに相俟って、これまで見られなかた品質トラブルが発生し、これにより、特に医療の現場で重要とされる医薬品(Key Drug)の供給不足を来たし、医療現場の混乱を招くといった事例も見られます。これらは、コストやスピードを優先した「合理性」の追究が招いたリスクと受け止めることもできます。
こういう状況の中、PIC/Sのデータインテグリティーガイダンスに見られる「品質文化」のような、人や組織に関わる要素が世界的に注目され、医薬品の品質保証に重要との考えが示されたことは大変興味深いことと考えます。「科学性」や「合理性」だけでは、医薬品の品質保証を確たるものにするには不十分であるとの認識が、その根底にあることが窺えます。この「品質文化」の醸成の基礎となる要素の一つに、組織における「良好なコミュニケーション」がありますが、これが、「組織が重大なリスクを回避するためには、企業や職員にとって不利な情報も迅速に共有する必要がある」との考えに基づくものであることは、先の講でも触れたとおりです。しかし、この「良好なコミュニケーション」を既存の組織の改善によって実現することは簡単なことではありません。現組織風土が、長い年月を経て作り上げられたのと同じように、その改善にも同様に長い時間を要すると考えられるからです。また、組織のあり方を変えるという作業には、「科学性」や「合理性」の追究とはまた違ったアプローチが求められることも、その理由の一つです。しかし、この「品質文化の醸成」といったことが、今後、医薬品品質をより安定的に確保する上で益々、重要な要素になってくることは間違いないでしょう。
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